予定より少し遅れてホテルをチェックアウトし、帰路につきました。
香川県高松市から徳島県鳴門市へ。
「大鳴門橋」を渡って兵庫県南あわじ市へ。
「明石海峡大橋」が見えてきました。
橋を渡る前に、ちょいと腹ごしらえ♪
おぉ!淡路にも「鯛めし」がありますね。
宇和島で食べた「鯛めし」美味かったなぁ^^
淡路の「鯛め…
<7月20日(月) 7日目>
四国旅行最終日、朝の散歩に栗林公園へ行ってきました。
栗林公園は、紫雲山を背景に、6つの池と13の築山を配し、400年近い歴史を有する大名庭園。
また、面積は約75haで文化財庭園では、国内最大の広さなんだそうです。
30分ほど散歩してホテルへ帰るつもりでしたが、広過ぎてどのように廻れば良いかわ…
高知県今治市から香川県へ向かいました。
まずは、観音寺市の琴彈公園へ。
駐車場横の展望所からは観光客?が岩の上に上ってカメラやスマホを向けています。
展望所から下を観ると、松林の中にとてつもなく大きな寛永通宝が!!
この寛永通宝、有明浜の白い砂で作られた砂絵で、東西122m南北90m、周囲345mもあるそうです。
というこ…
松山は見所がたくさんあり、一泊ではちょいと慌ただしかったです。
今度訪れるときは、最低二泊してもっとゆっくりしたいと思いました。
松山市から瀬戸内海沿いの国道196号線を走って、今治市へ。
ここでは、日本100名城の今治城を訪れました。
今治城は、慶長7年(1602年)藤堂高虎によって築城開始され、慶長9年(1604年)…
坂の上の曇ミュージアムのすぐ隣が「萬翠莊」へのゲート。
左の建物は管理人舎でしょうかね?
植木が丁寧に剪定されています。
敷地内の坂道をぐるりと上ると「萬翠莊」に到着。
萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久松 定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設したものです。
陸軍駐在武官としてフ…
ホテルへ帰って朝食。
朝食も夕食と同じく部屋で弁当><
ホテルをチェックアウトして、「坂の上の雲ミュージアム」へ向かいました。
松山の市電や市バスは、オレンジ色なのですね。
さすが「みかん県」w
「坂の上の曇ミュージアム」に到着。
司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をテーマとした博物館です。
松山…
<7月19日(日) 6日目>
大きなベッドでゆっくり寝ることが出来たので、朝の目覚めは爽やかです。
天気も良さそうなので、散歩に出かけました。
「伊佐爾波神社」
国の重要文化財に指定されている由緒ある神社らしいですが、この階段をみて行くのをあきらめました^^;
昨日少しの間散策した「ハイカラ通り」。
この時間では…
5日目の宿は、道後温泉の旅館「茶玻瑠」。
5日目の走行距離は記録するのを忘れていました^^;
チェックインして、指定されたお部屋に入ってビックリ!!
せっかく「日本最古の温泉」と言われる道後温泉に宿泊するので、ちょいと良いホテルを予約したのですが、こんな豪華な部屋を予約した覚えがない・・・
…
松山城は、武将・加藤嘉明が、慶長7(1602)年より四半世紀をかけて築城。「現存12天守」のひとつであり、姫路城・和歌山城とともに、日本三大連立式平山城にも数えられています。
また、各櫓、城門、天守などなんと21棟もの建造物が重要文化財、さらに9棟が有形登録文化財となっています。
「紫竹門」。
現存の門で重要文化財。
こ…
湯築城の見学が終わると14時過ぎ。
予定より時間が早いため。翌日登城する予定だった松山城に行ってみることにしました。
松山城駐車場にクルマを停めて、ロープウェイ乗り場まで少し歩きます。
お昼ご飯を食べていなかったので、途中喫茶店で遅いランチにしました。
あぁ~腹減った^^;
確かプレートランチだったかな?忘れちゃいました^…
昼過ぎにこの日の宿泊地松山市道後町に到着し、湯築城へ向かいました。
湯築城は、源平合戦で源氏方についた河野通信が鎌倉幕府の御家人として伊予国を任された通盛の時(1335年前後)、温泉郡湯築へと本拠を移し築いた城。戦国期の1535年(天文4)に河野通直(弾正少弼)が二重の堀と土塁を巡らして現在の形を完成させた。1585年(天正13)…
佐田岬から「佐田岬メロディライン」を戻り、大洲城へ。
大洲市民会館前の有料駐車場にクルマを停めて、本丸まで少し歩きます。
高知城や宇和島城は駐車場からかなり歩いたので、これくらいはへっちゃらです。
というか、駐車場の辺りがすでに二の丸だったらしいです。
大洲城は、鎌倉時代末期の1331年(元弘)伊予守護の宇都宮豊房が築いた「…
<7月18日(土) 5日目>
ホテルの朝食はアメリカンビュッフェ方式ではなく、プレート方式でした。
これも新型コロナ対策の一環なのでしょうかね?
8:00前 早めにホテルをチェックアウトし、佐田岬方面へ。
日本100名道に選定されている「佐田岬メロディーライン」を走ります。
「佐田岬メロディーライン」は、日本一細長…
4日目の宿泊は宇和島城近くの「宇和島リージェントホテル」。
4日目の走行距離:178.1km
駐車場はホテルの向かいのコインパーキングに停めるよう指示されました。
四国のホテルでは、併設の駐車場のスペースは狭いらしく、ホテルから離れたパーキングに停めることを指示されることが多かったです。
駐車場の奥の山が宇和島城のある城山公園…
15時過ぎ、日本100名城の宇和島城へ到着。
宇和島城は、近世城郭は築城家として名高い武将、藤堂高虎によって、慶長元(1596)年から慶長6(1601)年にかけて築かれました。
かつては大半が海に面し、堀も築かれていましたが、現在は埋め立てられています。
元和元(1615)年に伊達政宗の長子、伊達秀宗が入城して以来伊達家代々の…
宇和島城へ向かう途中、お昼時になったので「道の駅 大月」でランチをとることにしました。
私が注文したのはコレ↓
鰹のたたきはやっぱり「ひろめ市場」のが一番^^
かみさんのはコッチ↓
アオサの天ぷらも「ひろめ市場」の方が美味かったそうです。
「スィーツ部門グランプリ」ですかぁ?
おいしそうですな♪
食後の…
ほどなく「ジョン万次郎資料館」に到着。
万次郎は、土佐中浜浦の漁師の子。
1841年出漁中遭難して鳥島に漂着。アメリカの捕鯨船に救われ,マサチューセッツ州ニューベドフォードに伴われた。船長の好意で学校教育を受け,1852年に帰国。
帰国後は幕府で外交書簡の翻訳等に従事,1860年日米修好通商条約本書の批准交換のための遣米使…
この日の宿泊先は宇和島市。
宇和島市に向けて海沿いの県道27号線を走ります。
良い天気になりました。
青い空と青い海が気持ちいい♪~
途中「中浜万次郎生家」の案内板を見つけたので、予定にはありませんでしたが立ち寄ることにしました。
万次郎は、帰国後幕府直参となった際、故郷である中浜を姓として授かり、「中浜万次郎」と…
足摺岬の駐車場に到着。
駐車場脇に建つ中浜万次郎(ジョン・万次郎)像。
ジョン・万次郎の詳細については、また後ほど書きます。
「椿のトンネル」と銘打つ遊歩道。
残念ながら、この時期椿は咲いていません。
遊歩道を少し歩くと展望台へ到着。
「四国最南端」のプレート。
展望台からの眺望。
良い天気に…
<7月17日(金) 4日目>
この日の午前中は、四万十市から国道321号線を南下し、足摺岬を目指しました。
土佐清水市と叶崎を結ぶこの国道321号線は、「足摺サニーロード」という愛称があります。
“サニー”は南国の陽光を浴びて走るイメージと、路線番号の「3(サ)2(ニ)1(イ)」からなんだそうです。
何だ「ゴロ合わせ」だ…
3日目の宿泊は、「新ロイヤルホテル四万十」。
3日目の走行距離:254.4km
お部屋はこんな感じ。
夕食はホテル飯。
真ん中の鉢は鰹のたたき。
手長エビとアオサの天ぷら。
「Are you a AYU?」
(鮎が出てくると、こればっか^^;)
アサリの吸い物。
そして、左上はウ…
内陸部にある四国カルストから四万十川沿いを下って行きます。
四万十川(しまんとがわ)は、全長196km、流域面積2186km2で四国内で最長の川。本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」、また柿田川・長良川とともに「日本三大清流の一つ」と呼ばれています。
また、四万十川に沿って走る道の中で国道381号線~国…
四国に入ってここまではほぼ海沿いを走ってきたのですが、「日本三大カルスト」の一つ「四国カルスト」へ行くために内陸部を走ります。
あとの2つの「日本三大カルスト」とは、山口県の秋吉台と福岡県の平尾台。
また、カルスト地形(独: Karst)とは、石灰岩などの水に溶解しやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによ…
朝食はホテルの隣のコンビニでサンドイッチを買って帰りました。
ホテルをチェックアウトし出発!
高知市街から15Km程走ると「宇佐大橋」が見えてきました。
「宇佐大橋」を渡って「新・日本100名道」の「横浪黒潮ライン」へ。
横浪黒潮ラインは、高知県土佐市から須崎市を結ぶ横浪半島を縦断する道路で別名、「横浪スカイ…
<7月16日(木) 3日目>
朝起きてホテルの近くを散策してきました。
夕べ夕食をいただいた「旬菜 卓」。
帯屋町1丁目商店街。
朝早いのでどのお店も閉まっています。
さすが高知!タイルやマンホールのデザインは鰹です。
「日本三大がっかり名所」と言われる「はりまや橋」へやって来ました。
ちなみに「日…
2日目の宿泊は、高知市街中心にある「ドーミーイン高知」。
2日目の走行距離は131.2Km。
ロビーでは、コーヒーの無料サービスがありました。
そして、21:30からは無料の夜鳴きそばのサービスもあるそうです。
お部屋はこんな感じ。
部屋の窓からは高知城の天守が見えました。
隣の建物の屋根が邪魔ですが^^…
高知城見学の後は予定通り桂浜へ。
高知へ来たからにはやっぱり桂浜へ行かなくっちゃね♪~
「♪月の名所は桂浜」とよさこい節でも唄われ,「月の名所」とされているようですがお月様が出るまではまだ時間があるようです。
それに曇天だからお月様出ないでしょうね?
浜の南西端の下竜頭岬には竜王宮があるそうですが、私は高知城…
2日目の午後は日本100名城の高知城を訪れました。
日本100名城を訪れるのは実に2年半ぶりなので、とても楽しみにしていました。
高知公園駐車場にクルマを停めて、まず高知城追手門を目指します。
途中、山内一豊の騎馬像がありました。
関ヶ原の戦いの後、旧城があった大高坂山に山内一豊が新たに築いたのが近世城郭の高知城。
(…
高知へ着いたらちょうどお昼時、「ひろめ市場」へ直行。
「ひろめ市場」で鰹のたたきなどの「高知グルメ」を食べるのを楽しみにしていました。
「ひろめ市場」では大変混み合うので、席の確保が大変だと聞いていたのですが、新型コロナのためか思っていた以上に空いていました。
ひろめ市場(ひろめいちば)は高知城の近くにある集合…
岩崎弥太郎生家に立ち寄ったため、予定より少し遅くなって「野良時計」へ到着。
土居村(現在の安芸市土居)の大地主であった畠中源馬は時計に興味を持った。明治20年(1887年)ごろアメリカ製の八角掛時計を取り寄せて分解・組み立てを繰り返し、やがて自作の時計を作ることを思い立った。
独学で全てのパーツを一人で作製したといわれる。当時は…