麗しの中欧43~朝の散歩④(くさり橋往路)~
<7日目・7月18日(水)>
中欧旅行も正味この日1日を残すのみとなりました。
朝早く起きて、ヨーロッパ全体で見ても特に美しい橋のひとつであるとも言われるくさり橋を渡ってきました。
ホテルの玄関を出ると、すぐそこにドナウ川です。
くさり橋も目の前です。
真正面には王宮と、今回のホテルも好立地です^^
東岸のペスト地区側の橋入り口。
真ん中が車道で両端が歩道になっています。
くさり橋(正式には「セーチェーニ鎖橋」)は、ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架けられた吊り橋で、西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいます。
1849年に完成したこの橋は、当時「世界で最も偉大な吊橋」と高く評価されていましたが、第2次世界大戦中にドイツ軍により中央径間が破壊され、現在の橋は開通100周年に当たる1949年に再建されたものです。
さらに、この橋は、1987年に「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区」の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されました。
橋の両側のたもとにあるライオン像(合計4頭)は舌がないので、除幕式の際に人々がこの像を手がけた彫刻家をからかい、彼はドナウ川に投身自殺してしまったという逸話があるそうです。
この橋が架けられる前 は、並べた舟の上に橋を渡す「舟橋」や、一種のフェリーを利用する「飛び橋」などが使われていたそうですが、いずれも冬場になると押し寄せる氷を避けるために解体されました。
そのかわり、その時期にはやがて凍った川を渡れるようになるので、それが橋の代わりになったということです。
この橋の建設に尽力したのはセーチェーニ・イシュトヴァーンという貴族です。
ある年の12月、父の訃報を受け取ったセーチェーニは、急いで駆けつけようと川を渡ろうとしましたが、舟橋などはすでに解体されていました。
その一方で、まだ川の上を歩けるほどには凍結しておらず、氷を避けて向こう岸に届けてくれる渡し守を手配するのに時間がかかってしまいました。
彼はこのときの経験から、ドナウ川に架かる恒常的な橋の重要性を認識するようになったそうです。
南側に見えるエルジェーベト橋は白いシンプルなケーブル吊橋ですが、再建前の旧エルジェーベト橋は、この橋と同じチェーン吊橋だったそうです。
王宮もだいぶ近づいてきました。
川では、カヤックで川下りをする人たち^^
西岸のブダ地区までもうすぐです。
橋を渡りきると、くさり橋の建設を担当したクラーク・アーダームにちなんだ「クラーク・アーダーム広場」に到着。
ドナウ川の西岸側にもトラムの路線が走っていました。
振り返ると、宿泊ホテルの「ソフィテル・ブダペスト・チェーンブリッジ」が見えます。
王宮は目の前です。
ここまで来たら、王宮へも行ってみたいところです。
このケーブルカーに乗れば、楽に王宮まで行けるのですが・・・
残念ながら、時間がないので今回は諦めました。
ここ、「クラーク・アーダーム広場」は、ハンガリー国内の道路の0キロメートル点となっており、左側には原標 (Zero Kilometer Stone) が見えます。
0キロメートル点から続く道。
たくさん写真を撮りました。
長くなるので、帰り道は次稿で~
中欧旅行も正味この日1日を残すのみとなりました。
朝早く起きて、ヨーロッパ全体で見ても特に美しい橋のひとつであるとも言われるくさり橋を渡ってきました。
ホテルの玄関を出ると、すぐそこにドナウ川です。
くさり橋も目の前です。
真正面には王宮と、今回のホテルも好立地です^^
東岸のペスト地区側の橋入り口。
真ん中が車道で両端が歩道になっています。
くさり橋(正式には「セーチェーニ鎖橋」)は、ブダペスト市内のドナウ川沿岸で最初に架けられた吊り橋で、西岸のブダ地区と東岸のペシュト地区(ペスト地区)を結んでいます。
1849年に完成したこの橋は、当時「世界で最も偉大な吊橋」と高く評価されていましたが、第2次世界大戦中にドイツ軍により中央径間が破壊され、現在の橋は開通100周年に当たる1949年に再建されたものです。
さらに、この橋は、1987年に「ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区」の一部として、ユネスコの世界遺産に登録されました。
橋の両側のたもとにあるライオン像(合計4頭)は舌がないので、除幕式の際に人々がこの像を手がけた彫刻家をからかい、彼はドナウ川に投身自殺してしまったという逸話があるそうです。
この橋が架けられる前 は、並べた舟の上に橋を渡す「舟橋」や、一種のフェリーを利用する「飛び橋」などが使われていたそうですが、いずれも冬場になると押し寄せる氷を避けるために解体されました。
そのかわり、その時期にはやがて凍った川を渡れるようになるので、それが橋の代わりになったということです。
この橋の建設に尽力したのはセーチェーニ・イシュトヴァーンという貴族です。
ある年の12月、父の訃報を受け取ったセーチェーニは、急いで駆けつけようと川を渡ろうとしましたが、舟橋などはすでに解体されていました。
その一方で、まだ川の上を歩けるほどには凍結しておらず、氷を避けて向こう岸に届けてくれる渡し守を手配するのに時間がかかってしまいました。
彼はこのときの経験から、ドナウ川に架かる恒常的な橋の重要性を認識するようになったそうです。
南側に見えるエルジェーベト橋は白いシンプルなケーブル吊橋ですが、再建前の旧エルジェーベト橋は、この橋と同じチェーン吊橋だったそうです。
王宮もだいぶ近づいてきました。
川では、カヤックで川下りをする人たち^^
西岸のブダ地区までもうすぐです。
橋を渡りきると、くさり橋の建設を担当したクラーク・アーダームにちなんだ「クラーク・アーダーム広場」に到着。
ドナウ川の西岸側にもトラムの路線が走っていました。
振り返ると、宿泊ホテルの「ソフィテル・ブダペスト・チェーンブリッジ」が見えます。
王宮は目の前です。
ここまで来たら、王宮へも行ってみたいところです。
このケーブルカーに乗れば、楽に王宮まで行けるのですが・・・
残念ながら、時間がないので今回は諦めました。
ここ、「クラーク・アーダーム広場」は、ハンガリー国内の道路の0キロメートル点となっており、左側には原標 (Zero Kilometer Stone) が見えます。
0キロメートル点から続く道。
たくさん写真を撮りました。
長くなるので、帰り道は次稿で~
この記事へのコメント
その一つの象徴としてライオンが
担っているような気がしますし、
橋に出入り口に門らしきものが
ある構造が印象的です。
子ども心に橋のイメージは、大人
になっても残っていますね。
私が小学校時代の札幌の中心に架
かっていた豊平橋は、メガネ橋の
ように半円形の橋上部分が3つ
あり、数が違うかもしれませんが、
思い出の橋でした。
橋の灯がランタンというのが、いか
にも欧米風といった感じでした。
現在は普通の平坦な橋になってしま
いました。
橋の建設の経緯も、興味深く拝見
しました。
やっぱりレトロな物は歴史を感じ、趣がありますよね、
最近はこういったレトロな構造物が少なくなって残念に思います。