今年も台湾へ行ってきました⑥~億載金城~
<3月9日(金)・2日目>
今回の旅行を計画するにあたり、私は台南のお城へ、Hさん夫妻は烏山頭水庫へ行ってみたいということでした。
そこで、前回の旅行でお世話になった施さんにガイドをお願いしようと思い、連絡を取ってみたのですがLINがうまく通じず、彼女のガイドは残念ながら断念せざるを得ませんでした。
しかし、旅行直前に台南と烏山頭のツアーを見つけたので、急遽これに参加することにしました。
8時30分にホテルのロビーで、ツアーガイドの宋さんと待ち合わせ。
日本語はあまりお上手とは言えませんが、おとなしくて人の好さそうなおじさんでした。
後でお歳をお聞きすると、61歳なんだとか。
男性3人(宋さん、Kさん、私)とも薄毛ですが、失礼ながら彼が我々4人より年下とは思いもよりませんでしたw
宋さんの運転で台南へ。
まずは、清代末期の1871年に海防用に造られた要塞「億載金城」へ案内していただきました。
「億載金城」とは、「1億年はもつ鉄壁の要塞」という意味だそうですが、長年放置され荒廃していたところを台湾光復後に行われた大規模な改修工事で整えられたものです。
門をくぐって城内に入ると、門には違った文字が書かれていました。
「萬流砥柱」とは「難攻不落」という意味だそうです。
城の中心部は何も建物はなく、広場のようになっていました。
城内にある図を見ると「士兵操練演習場所」とあるので、建物が何もないのは兵士を訓練するためだったのですね。
周りのはこのような立派なガジュマルの木が植えられてます。
周りをガラスと鉄骨で保護されている一区画は、兵舎と小型砲弾薬庫跡地。
隙間があったので、カメラを突っ込んで撮ってみました。
城の周りには、あちこちに大砲が設置されています。
しかし、これらの大砲のほとんどはレプリカなんだとか^^
酒瓶の形をした大砲は当時最新鋭のアームストロング砲だそうです。
Hさんがのぞいている大砲、宋さんの話によるとこれだけが本物なのだとか。
ここはかつて大砲を設置していた場所。
大砲の向きを変えるためのレールの跡が残されていました。
そもそもこの城ができるきっかけとなったのは、琉球の漁民が台湾の原住民に殺害された牡丹社事件(1874年)でした。
この事件をきっかけに日本は台湾に出兵。
そして清国は台湾防衛のためにこの城を築いたということでした。
かつて我が国と台湾はこのような暗い歴史があったのですね・・・

この記事へのコメント
函館山の要塞を思い出します。
千葉の館山付近の要塞も同じかもしれ
ません。
私が小学校の時は、台湾は日本の領土と
思いこんでいました。
後に日本が出兵して、得た領土と分かり
ましたが。
それにしても、そんな歴史的過程にあり
ながら、比較的親日的な国民性が今一つ
理解しがたいところが残っています。
台湾を訪れるたびに台湾の方々の親切に親日だな感じます。
未だに歴史的なわだかまりを持つ某隣国とえらい違いだなと思います。